校長から

2025年2月の記事一覧

2月23日、本校、軽音楽部が鳩山町のイベントに参加しました ♪

 2月23日(日)天皇誕生日、鳩山高校軽音楽部の2年生が地元、鳩山町コミュニティ・マルシェにおいて近隣住民から熱い人気を誇る音楽イベント「カフェ&バルマルシェ」に出演しました。

 午後3時30分に始まった我が鳩山高校軽音楽部の演奏に、会場はあっという間にイカしたライブスペースになりました。部員の熱唱に顧問の先生も応える圧巻のステージに、会場に集まった聴衆の皆さんは万雷の拍手で応えてくれました。4曲の演奏を終えた後、卒業を間近に控えた3年生の友情出演があり、会場は熱気と興奮に包まれました。

 会場に足を運んでくれた聴衆の皆さんに素敵な夕べを提供できたと思います。軽音楽部の生徒の皆さん、最高にカッコよかったですよ!お疲れさまでした。

 

校長室より「2月後半」の鳩高生への応援メッセージ

令和8年4月開校の新校、校名案が発表されました!

~「ハトミライ☆プロジェクト」で本校のシンボルとなった「」、未来へ!~

  鳩高生のみなさん、こんにちは。校長の田中です。令和7年2月12日午後、大野元裕埼玉県知事から来年の4月に開校する県立高等学校12校の統合及び名称変更 についての条例案が発表されました。その中に、本校と越生高校の再編整備によって開校する新校の校名案も含まれています。

 

「埼玉県立越生翔桜(しょうおう)高等学校」です。

 

 この校名案を3月の埼玉県議会に提案するということです。従って現在は案の段階で、校名の正式な決定は、議会後となります。この点、承知しておいてください。

 本校にとって新校の校名に「桜」という文字が入ったことは大変喜ばしいニュースだと思います。本校と桜の関係を紐解くと、福島の震災復興ボランティアへの参加を縁に「ふくしまサクラモリプロジェクト」様から桜の苗木をいただいことから始まりました。第36期生徒会の生徒達が、いただいた桜の苗木を大切に育て、「30年後の鳩山町を桜の名所にしたい」という願いをかたちにするため、2017(平成29)年度に「ハトミライ☆プロジェクト」を立ち上げました。「鳩山町を桜の名所にしたい」というスローガンにも表れているように、このプロジェクトは、いち鳩山高校の取り組みにとどまらず、鳩山町に全面的にご支援いただきながら地域と共に歩む壮大な企画でした。すなわち鳩山町の活性化や自然の有効利用、鳩山町の知名度の向上を目的にしたプロジェクトとしてスタートしたのです。

 

 ここで「ハトミライ☆プロジェクト」における桜の植樹の歩みをたどっていきたいと思います。植樹は例年3月末に行うため、実際の植樹の年月日は、暦のうえでは当該年度の次の年となります。

・その1年目は、平成29年度の2018(平成30)年3月に「鳩山町農村公園

・2年目2019(令和元)年は「石坂の森

・3年目2020(令和2)年は「地球観測センター(JAXA)

・4年目2021(令和3)年は「泉井交流体験エリア

・5年目2022(令和4)年は「鳩山松寿苑本館

・6年目2023(令和5)年は「鳩山中学校

・7年目2024(令和6)年は「東京電機大学鳩山キャンパス

と歴史を重ねてきました。こうした中、再編整備の計画を受けて、令和5年度、2024(令和6)年3月の植樹をもって本プロジェクトに区切りをつけることとなりました。

  植樹活動は一区切りですが、鳩山高校の先輩方が大切に築き上げてきた宝物のような「桜」プロジェクトは、新校の校名に受け継がれ、新たな歴史を刻むこととなります。全ての卒業生、在校生、保護者の皆様、教職員の皆様、鳩山町の皆様、そして鳩山高校をこよなく愛してくださっている皆様、本当にありがとうございます。

 

 ところで我が国、日本において、この「桜」とはどのような位置づけのものとして現在に至ったのでしょうか?その歴史を探ってみたいと思います。もともと桜は日本に普通に自生していたものだそうです。つまり国産です。したがって古代日本において必ずしも珍重されていませんでした。それに対して「梅」は、進んだ中国文化と一緒に日本に入ってきた外来種です。そのため、都に植えられ、大切に育てられました。

  奈良時代から平安時代に至っても梅の尊重は続きます。その象徴として都が平安京に移った際、新築された内裏(だいり・天皇の住まい)の本殿には、梅と橘(たちばな)が植えられました。これを「左近の梅(さこんのうめ)」、「右近の橘(うこんのたちばな)」といいます。当時の天皇、嵯峨(さが)天皇は中国好きで有名だったそうですから納得です。それでもこの後、桜が主役の座を奪います。諸説あるのですが、大きな理由として考えられるのは遣唐使の廃止などから国風文化が大きく花開いたことです。嵯峨天皇の皇子が天皇になった時代から「梅」に代わって「桜」を本殿の前に植樹し、国風文化隆盛(りゅうせい)の象徴となりました。

 

 みなさんにもおなじみの日本最古の歌集、『万葉集』では梅に押されていた桜ですが、最初の勅撰(ちょくせん)和歌集である『古今和歌集』では梅を圧倒し、花と言えば「桜」のことを意味するまでになっていきます。この歴史は1000年以上経った今もこの流れをくんで現在に至っています。次の「校長室から鳩高生への応援メッセージ」は、「桃の節句=3月3日=ひな祭り」にアップする予定です。女子生徒のみなさん、3月3日には、ひな人形を飾りますか?一般的にはひな壇が何段かあるものには、「左近の桜」と「右近の橘」がセットで付いているはずです。段飾りの左右は、「内裏ひな」から見て左右ですから、飾る場合は名称とは逆に、向かって左に「橘」、向かって右に「桜」を飾ってくださいね。

  今や3月末から4月のシーズン、見事、満開に咲き誇った姿は右に出るものはないほど美しい桜。私たちの目を十二分に楽しませてくれた後は、潔く散っていく、花界(?)の絶対的エース(?)として君臨するその佇(たたず)まいに王者の風格すら感じてしまいます。

 そして2026年・令和8年の4月、「桜」は、我が鳩山高校を象徴するものとなって新校に継承されていくこと、素直に喜び、胸を張って、それに加えて鳩山高校という看板を背負(しょ)った私たち自身の自己肯定感を一層、高めましょう!フレー、フレー鳩高!フレー、フレー鳩高!

 引き続き、思慮深く、そして笑顔で学校生活を送ってください。鳩高生のみなさん!応援しています。

  次回、3月前半の応援メッセージは、桃の節句、3月3日(月)にアップします。このホームページ(=ウェブサイト)で会いましょう!

 

校長室より「2月前半」の鳩高生への応援メッセージ

自分の素直な感情をのぞいてみよう!知らなかった世界が見えてくるかもしれません

~ピカソの絵画を前にした私の経験から~

 

 鳩高生のみなさん、こんにちは。校長の田中です。3年生のみなさんは、家庭研修に入りました。2年生は、3年生が登校しない2年生だけの高校生活がスタートしました。一つの学年だけでは持て余してしまうくらい大きな校舎、引き続き、愛着ある自分のホームルーム教室を大切にして学校生活を送ってください。毎日の清掃区域も少し変更があるかもしれませんが、こちらも引き続き、校内美化に力を発揮してください。

  さて、今回は「自分の素直な感情」にスポットを当ててみたいと思います。自分の素直な感情と言っても、これは周囲の人との関係もありますから、何から何まで自分の素直な感情をぶつけてしまったら、円滑な社会生活が送れなくなってしまいます。新聞、テレビやネットからその日の情報を確認すると、対人トラブルで大きな事件等に発展してしまったケースが飛び込んでくることがあります。「むしゃくしゃ」して犯行に及んだ、などです。犯行に及んだ人からすると、もしかしたらこれも素直な感情からだったのかもしれません。数行前に、「自分の素直な感情」にスポットを当てるとは言いましたが、こうした周囲や社会から認められることのないことは当然のことながら除外しての話です。

  やっと本題で入ります。唐突ですが、皆さんは「ピカソの絵画」はお好みですか?天才とうたわれた画家のパブロ・ピカソです。本名はというと、ここから数行が必要なことを知っている人もいると思います。そのピカソの絵画。とは言っても若い頃と世界的に名を轟かせてからのものでは、だいぶ違います。ここで「お好みですか?」と尋ねているのは、ピカソが描いた作品の中で最も有名だと思われる、ドイツ空軍による無差別爆撃を受けた1937年に描いた絵画、『ゲルニカ』やその他では『泣く女』などです。改めて問われると、何となくイメージできても、どんな絵だったかな?と思うのではないでしょうか。今はネット環境が抜群です。早速、ググってみてもらえたらと思います。

 問いを発した私はというと、…。『ゲルニカ』や『泣く女』などは正直、苦手です。小さかった頃は、「小学生並みの絵じゃない!」などと周囲と一緒に言いたいことを言っていたこともありましたが、やがて芸術家として多くの人にメッセージを送りたかったから思いをキャンバスにぶつけた、ということは理解しつつ、いつの日か天才、ピカソに忖度(そんたく)して、また、絵のメッセージを解さない奴、という批判をどこかでかわしたい気持ちだったり、こうした、言ってみれば「自分の素直な感情」は控えるようになっていました。そんなこと自体も忘れていたある時、大変著名な、いわゆる文化人同士の対話録をまとめた本の中で次のように述べていました。部分的に引用します。

 

 「…(略)。ピカソの絵の前にながく立っていると、額から脂汗が出る感じです。芥川がどこかの絵の展覧会で、気に入った絵を見ていると、それまで胃の全面に広がっていた酸が一瞬に引くように感じたということを言っておりますが、絵の調和とか不調和とかいうものは、生理、とくに胃の生理と結びついているように私は思うのです。ピカソの絵は、とうてい長く見ていられない。あれを高い値で買って居間に掛けようというのは、妙な心理です。(略)…」

 

 この本に出逢って胸のつかえがスッとした思いでした。文化勲章受章レベルの方の対話で「我が意を得たり」というこの言葉は大変勇気づけられました。そして改めてピカソについて調べてみました。どこかで聞いたことはありましたが、ピカソは、…ちょっとストレートすぎる言葉かもしれませんが、"絵画が抜群にうまい”ということを。その代表作と言ってよいのが、1897年に発表した『科学と慈愛』です。美術教師だった父の指導のもとで描いた古典的な様式の絵画で、マドリードで開かれた国立美術展で入選、佳作を受賞し、約2週間展示されたそうです。そして後にマラガの地方展で金賞を受賞した作品です。15歳のピカソの才能に審査員たちも舌を巻いたと言われています。是非、ググって『科学と慈愛』という作品を見てもらえたらと思います。素晴らしい絵画だと思います。そのピカソ、子供の頃から美術の英才教育を受け、『科学と慈愛』を書きあげる少し前の1894年、ピカソの父は絵の道具を息子に譲り、自ら描くことをやめました。一説に自分を凌駕(りょうが)している息子の才能への賞賛が原因といわれています。

  「額から脂汗が出る感じ」と評される一方で、ピカソは伝統的な絵画の技法を当然のごとく身に付けていました。その後、多くの人と出会い、影響を受ける中で「キュビズム」という、複数の視点から同時に対象物を見るという革新的な美術表現を創始しました。その後、シュルレアリスム(超現実主義)などの流れも取り込み、『ゲルニカ』などが完成したようです。

  話が少し散らかってしまいましたのでまとめます。私がちょっと苦手な絵画について著名な文化人もある種、その時の私に賛同してくれた感想は、ピカソという高名な画家の一部の顔だったのです。ピカソを知った当初は、ピカソという画家は、あのような絵しか描けないのかな、と思った時期もありました。その後、私と同じような感想を、ずっと以前から持っていた文化人の言葉を聞いたことがきっかけとなって、自分なりに調べていくうちに、実は深い闇のようなものがあったであろうことを理解しました。ピカソは父親から絵画の英才教育を受け、多くの人々をうならせるような、写実的な筆致の絵画を描いていたが、自らの思いや様々な影響を受ける中で、あの特徴的な絵画にたどり着いたのです。時に揶揄されることもあるピカソの作品は彼の絵画の表現のほんの一部だったのです。

  今の私は、ピカソの例えば『泣く女』を見て、現実世界の不合理や無情や人の醜い一面など様々な要素、想い、悩みなど全てひっくるめて、強烈なメッセージを発している作品なのだろうと受け止めています。

  さあ今回、鳩山高校の全校生徒のみなさんに伝えたかったのは、絵画や造形物をはじめ、世の中で「素晴らしい!」と称賛されているものについて、自分の素直な感情で受け止めてみてください!ということ。自分の感覚とは裏腹に世の中で評価が高いのであれば、何が素晴らしいのか?自分の頭で考える癖をつけてほしい、という提案です。人に歴史あり。なぜ、今のような心境に至ったのか、今の現実があるのはなぜなのか?みなさんの身近にあるモデルをとおして深掘ってみるとともに、自分自身と向き合うことを避けることなく、多くの有益と思われる経験を積んでいってほしいと願っています。鳩高生のみなさん!応援しています。

 

 次回、2月後半の応援メッセージは、2月17日(月)にアップします。このホームページ(=ウェブサイト)で会いましょう!